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気の記憶

ある患者さん(Aさん)が語ってくださったお話しです。

Aさんのお嬢さんが一歳になる前、髄膜炎にかかりました。(髄膜炎についてはこちら
緊急入院して、辛い検査と治療を受けました。その間、Aさんはずっとお嬢さんに手を当てていたそうです。治療は成功し、検査の数値が正常に戻ったので、完治したと病院から言われた時、お嬢さんの顔はむくんでパンパンに腫れていたそうです。それでも、病院としては「もうすることがない」ので、お嬢さんは退院しました。

Aさんは当時、信頼できる先生のもとで指導を受けていました。ですからお嬢さんが退院してからも、その先生の指導のもとで排毒を促進するようにお嬢さんに手を当て続けていました。その甲斐あって、お嬢さんはありとあらゆる排毒をしたそうです。排便・排尿はもちろん目、鼻、口、耳、そして最後に皮膚から汚れたものをすべて出しました。その排毒をすべて終えて、小学校に入学しました。

お嬢さんは、自分が小さいときに大病をしたということを知らずに成長しました。そして、自ら望んで医者になることを決め、医大に入学しました。現在は医大生として忙しい学生生活を送り、そして東洋医学を勉強するクラブにも所属しているそうです。


このお話しを伺って、私は「気の記憶」ということを考えていました。
このお嬢さんは、お母さん(Aさん)から、送られた気を記憶しているのではないかと。その記憶は意識上では認識されていないだけで、その記憶が彼女を「治療される側」から「治療する側」へと導いたのではないかと。与えられた「気」で満たされているからこそ、それを還元できる場所へ導かれたのではないかと。


よい治療を受けると、その効果というのは後々になっても実感されるものです。辛かった症状が楽になった、という目先の効果だけではありません。ふとした拍子に、「ああ、そう言えば最近、疲れにくくなったなあ」とか「何だか元気で調子いいかも」とか「今から考えると、あの時は調子悪かったことが分かってなかったんだなあ」とか漠然とした感じなのですが。

これが「気の医学」の素晴らしいところだと思うのです。時間が経っても、本人が意識してなくても、気を受けた体が変わっても、そこにある。

うーん、何だか言葉足らずですが、お話しを伺って感動したので、書いてみました。
もう少し、上手に表現できる時が来るかしら?
by may-shinkyu | 2008-03-06 18:43 | 東洋医学


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