カテゴリ:鍼灸師になるまでの道のり( 12 )

国家試験

弟子として勉強させてもらいながら、アルバイトをしながらの学生生活は続きました。

3年生になると、国家試験対策の色がどんどん濃くなっていきました。
実技の時間が減り、今まで勉強してきたことを復習し、テスト対策をするという日々です。

限りなく100%に近い合格率を誇る学校に通っていたので、学校の勉強のみしっかりするように心がけました。
覚えることが多くて、脳ミソがギシギシ音を立てているような感じで辛かった・・・・・・
(今受験したらきっと合格できないでしょう)

国家試験当日、会場ではクラスメートと偶然となりの席になり、学校にいるようなリラックスした雰囲気で試験を受けることができました。

そして無事合格。
3年間の学生生活は終わりました。

クラスメートに恵まれ、師匠に出会えた実りの多い3年間でした。

免許を取得して、晴れてはり師、きゅう師、あんま指圧マッサージ師となりました。
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by may-shinkyu | 2006-08-19 19:18 | 鍼灸師になるまでの道のり

弟子入り

それからは定期的に治療に通いました。

腱鞘炎が少し良くなったものの、指にしびれがでたこともありました。
風邪をひいて咳が止まらなくなった時もありました。
演奏会の1週間前には、なんと首がまわらなくなってしまいました。

もし、治療に通っていなかったら、演奏会当日、舞台に立てていなかったかもしれません。
どんなことがあっても私はよりよい状態へ導かれている、という安心感がいつでもありました。

演奏会が終わってからしばらく、アルバイトのかたわら、私は色々な治療院めぐりをしていました。自分はどんな鍼灸師になりたいのだろう。どんな治療体系があるのだろう。
学校で学ぶことがすべてでないと分かった以上、自分で探すしか他に方法がありませんでした。

そしてさんざん彷徨った後、最終的に、E先生に弟子入りさせてくださいとお願いしました。
あの不思議な空間の中で、勉強したいと思ったからでした。
明るくてオープンで、色々な人が行きかう中でも静かな瞬間があり、暖かく包まれるような空間の中に、自分の身を置いて、成長させたいと思う気持ちもありました。

まだ2年生の何も分からない分際でのぶしつけな願いに、E先生は快く応じてくださいました。
週1回、先生の鍼灸院で勉強させていただくことになりました。

秋のことでした。
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by may-shinkyu | 2006-08-02 18:26 | 鍼灸師になるまでの道のり

師匠との出会い

初めて訪れたその鍼灸院は不思議な空間でした。

特別なものは何もありません。
新しくもなく、お洒落でもなく、ヒーリングミュージックがながれているわけでもありません。
そのかわりに、お灸のよい香りがしました。

同僚のいうところの「面白い鍼灸師」のE先生は、親父ギャグを連発しながらも、どこか洗練されている不思議な方でした。

治療はリラックスできて暖かくて気持ちがよく、治療中に眠ってしまいました。
学校で習う鍼灸とは全くちがうものでした。見るもの、聴くものすべてが新鮮でした。
鍼は深く刺さなくても効果がある、と自分の体で実感したのです。
痛いのは指なのに、全身を治療してもらうことも、1年生だった私には新鮮でした。
しかも、E先生は私の状態を東洋医学の用語を使って説明してくださいました。学校では西洋医学の解剖学や生理学を中心に勉強したので、これは違う言語を聞くような気がしました。

学校にはない何かがここにはある。

そう感じた私は、演奏会まで治療に通おうと決心しました。
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by may-shinkyu | 2006-08-02 12:33 | 鍼灸師になるまでの道のり

ラプソディー・イン・ブルーと腱鞘炎

ピアノを真面目に練習したのは10年も前のことでしたから、指は思うように動いてくれませんでした。

まずは指の練習からの再出発。
小学生の時に練習していた「ツェルニー30番」からの復習です。

同時に譜読みもしなくてはなりません。
年内には譜読みを終えて、年明けからは弾きこんで、春には吹奏楽と合奏するまでにもっていかなくてはなりません。当然暗譜もしなければ!!!!

寝ても覚めても音符が頭を離れない状態、電車の中でもラプソディー・イン・ブルーを聴くという徹底ぶり。

そんな生活を2ヶ月ほど続けたら、ある日親指が痛くなりました。指を開くと痛いので、オクターブや和音の多い曲なんだから、当然でした。
(無駄な力を入れすぎだったんですけどね。)

練習を休むわけにはいきません。テクニック的にも、譜読み的にも一秒も無駄にできない、と思いつめていたので、痛くても引き続けました。
鍼灸師のたまごとしてできることは、見よう見まねでお灸をすることくらいでした。

ある日、私が鍼灸を勉強していることを知った同僚が、彼の鍼灸師を紹介してくれました。
面白い鍼灸師がいるから会ってみたらいいよ、と言うのです。

何というタイミング!
私はその話に飛びついて、予約の電話を入れました。
鍼灸学校1年生の9月のことでした。
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by may-shinkyu | 2006-08-02 09:41 | 鍼灸師になるまでの道のり

ラプソディー・イン・ブルー

突然にその話は天から降ってきました。

ピアノは好きでしたが、人前で演奏会でソリストとして弾いたことはありませんでした。
クラシックひとすじで来たので、ガーシュインのあの独特なリズムや和音を体に覚えさせるのは難しいだろうと容易に予想ができました。
「モーツァルトの方が得意ですけど・・・・・」と言ったのを覚えています。

鍼灸学校1年生の夏のことでした。
定期演奏会は翌年の6月。

学校とアルバイトとでスケジュールはいつでもギリギリでした。
そして、ただでさえ譜読みが遅いのに、あの有名な大曲を弾けるようになるのか心配でした。
私が弾けなかったら、吹奏楽団全体に迷惑がかかってしまいます。

弾くのか。
弾かないのか。

このふたつの選択肢を抱え、しばらく迷いました。
自分の性格とピアノの技術を考えると、演奏会が終わるまではかなりのエネルギーを費やしてしまうだろうと思いました。
一生の仕事とするために鍼灸学校に入学したのに、ピアノなんか弾いてる場合じゃないだろう、と迷っている自分を戒める自分がいました。

だらだらと悩んだあげく、仲良くなったクラスメートに相談したのです。彼女は即答しました。

「今しかできないんだからやったら。」

確かにクラスメートの言う通りでした。
まだ1年生なんだから、国家試験までには時間がありました。
1年生のうちは事務のアルバイトをする予定でしたので、体力的には余裕がありました。
残業もなかったので、帰宅してから1日1時間から2時間の練習時間を作ることは、ぼーっとテレビを見る時間を減らせば可能でした。
しかもクラビノーバしかなかったので、時間を問わず練習できる環境が整っていました。

今しかない、と思えたので、弾くことに決めました。
(本当はとっても弾きたかったんですよね。)

こうして、学校とアルバイトの生活にピアノの練習が新たに加わることになりました。

ラプソディー・イン・ブルーを弾くことが、新しい大切な出会いをもたらすことになるなんて、この時には全く想像すらしていませんでした。
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by may-shinkyu | 2006-07-27 22:23 | 鍼灸師になるまでの道のり

鍼灸学校生活

まず驚いたのは、実技の時間が少ないんですね!!
国家試験に合格するには、膨大な科目を網羅しなければならないのです。

次に驚いたのは、東洋医学の科目が少ないんですね!!
西洋医学の知識が必要とされることは当然なのですが、もっと東洋医学の「気の世界」とつながりを持ちたいと思っていたのですから、とても残念に感じました。

理科系音痴にとって、解剖学・生理学・病理学のような科目は難しく、
記憶力が衰え始めた身にとって、覚えることが多い科目は厳しく、
手先が不器用な身にとって、実技は思うように上達せず・・・・・・

こうしてアルバイトをしながら、勉強する日が始まりました。
午前中は学校へ行き、午後は以前の職場でアルバイトとして働きました。
クラスメートの中には、もうアルバイトでマッサージの経験を積んでいる人もいて、事務のバイトをしていては取り残されてしまうという焦りもありました。

忙しくて大変だったのですが、それでも学生という立場は不思議なもので、社会人の頃には考えられなかったようなことが起こりました。

天の采配なのでしょうか、ある日突然その話はやって来ました。
ピアノを演奏会で弾きませんか、という話が持ち込まれたのです。

当時、アマチュア吹奏楽団でアルトサクソフォーンを吹いていたのですが、その定期演奏会でガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」のピアノソロを弾いて、吹奏楽と一緒にやりませんかと言われたのです。
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by may-shinkyu | 2006-07-27 22:00 | 鍼灸師になるまでの道のり

鍼灸学校に入学するまで

鍼灸師になるには学校に行かなければなりません。

ここで大きな問題にぶつかってしまいました。
入学試験です。
しかも科目は学校によっても異なりましたが、国語、英語、生物、数学などでした。
国語と英語はなんとかなっても、生物と数学はもうどうにもなりません。

大学は英文科でしたし、高校での理系の科目は悲惨でした。
何ひとつ覚えていません。
それぞれの学校の過去問題集を取り寄せてみましたが、チンプンカンプンでした。

今のように学校も多くなかったので、倍率はかなり高かったのです。
ここで受からないと、試験を受けるのにもう1年余分に待たなければなりません。
30歳を超えた身としては、何とかここで学校に受かりたい!!

本屋に走り、高校の生物の教科書を買っての勉強が始まりました。
フルタイムで働きながらの受験勉強は全くすすまず、焦りだけがつのるばかり。
高校で理科をさぼったツケがこんなところでまわってくるだなんて・・・・

そんなところへ朗報が届きました。
募集要項を取り寄せてみたところ、推薦入試があるというではありませんか。
年齢制限がなかった学校が一校だけありました。小論文と面接、高校の成績証明書と推薦状があればいいというのです。
すべてをこの一校に賭けることにしました。

面接に際しては、諸先輩方のHPを参考にさせて頂きました。
とにかく、学費が払えるということと、鍼灸に対する情熱を語り、所定の10分はあっという間に過ぎてしまったことを覚えています。

何が功を奏したのか、無事に第一希望の東京医療専門学校 鍼灸本科に合格できました。
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by may-shinkyu | 2006-07-26 13:23 | 鍼灸師になるまでの道のり

なぜ鍼灸師を目指したのか? その5

じゃあ何の職人になるのか?

英語を勉強しなおす、というのは一番てっとり早い選択肢のように思えました。
今までハッタリと勢いで何とかしていたものを、きちんと勉強しなおすのは悪いことではないと思いました。英語の教師になるか、通訳ガイドを目指すか、翻訳や同時通訳の勉強をするのか、ということも考えました。

しかし、英語教師の仕事はこれから減っていくだろうと予測できました。
通訳や翻訳家になったとしても、私には専門の分野がありませんでした。
これではつぶしがきかないな、と思いました。
そして、中学生から勉強しているにもかかわらず、これだけしかできるようになれないのは、競争相手の多い中では無理だと思ったのです。

芸術系 これはからっきしダメで・・・・

そこで浮上したのが医療系・介護系でした。
高齢化が進む中で需要が伸びているはずという観測があり、人の中で働きたいという思いもありました。

そこで目に留まったのが、鍼灸師でした。
数々の医療系の資格の中で、独立開業できるということも魅力でした。
そして何よりも私を元気にしてくれた「気の達人」たちの仕事に似ているところが私の心をつかみました。
鍼灸を基礎にしていけば「気の世界」とつながりを持ちながら、一生の仕事ができる、と確信しました。

こうして鍼灸師を目指すことになったのです。
鍼灸がどんなものか全く知らないまま。
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by may-shinkyu | 2006-07-22 16:24 | 鍼灸師になるまでの道のり

なぜ鍼灸師を目指したのか? その4

仕事を辞めようと決めたものの、次にどうしたいかということは全く考えていませんでした。
(ここが私の無謀なところです・・・・・)

転職することや、派遣社員になって組織の中で働くことは難しいことではなかったはずです。
そうすれば、安定した収入が得られる生活ができたでしょう。

しかし、私には「職人」気質に対する強い憧れがありました。
「何でも事務屋」でいることの反動からか、何かのプロになりたい、何かひとつのものを極めたいと思っていました。一生続けられる仕事に就きたいと思っていました。

再び組織で働いたとしても、しばらく経てば今回と同じように辞めたいと思う時がくるのではないか?とも思いました。

だったら、「職人」になろう!
女ひとりなんだもん、好きに生きたらいいよ!
元気なんだもん、何とかなるよ!

かなり無謀な論理ですが、こうして私は職人を目指すことになったのです。
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by may-shinkyu | 2006-07-22 15:26 | 鍼灸師になるまでの道のり

なぜ鍼灸師を目指したのか? その3

~「気」の世界に出会って~

私はどんどん元気になっていきました。
そして敏感になっていきました。

食べるもの、着るものも変わっていきました。
自分の意思よりも、もっと強いものに動かされていく感じがしました。

ピアスはそれまで楽しんでつけていたのですが、つけられなくなりました。
ストッキングもはけなくなり、仕事着は自然とパンツが中心となりました。
味覚が敏感になり、外食の濃い味付けが食べられなくなりました。

自分の感覚と周囲の状況との接点を探しながら、仕事に忙殺される日々が続きました。

好きだと思える仕事を与えられて幸せだと感じる自分と、このまま「何でも事務屋」でいていいのかという焦りが交錯する中で、何年かが過ぎました。

仕事に就いて8年目の春、ある時ふっと声が聞こえました。

「仕事を辞めなさい。」

仕事が辛かったとき、「辞めたい」と思ったことはありましたが、「辞めよう」と思えたことは一度もありませんでした。
しかし、この時は違いました。「もうできるだけのことはやった」と素直に思えたのです。
この声を無視したら、次の声がもう聞こえなくなるかもしれないとも思いました。
学ぶことが多い職場だったけれど、そろそろ次のことをしてもいいのかなとも思いました。
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by may-shinkyu | 2006-07-21 17:00 | 鍼灸師になるまでの道のり